2009年9月10日〜15日 カンボジア
ツアー概要
ビジョンツアー2009の目的地はカンボジア。ここ数年ずっとHRIが訪問し、支援を行っているベトナムの隣国だ。ツアーは2つのチームに分かれて移動し、現地で合流し、視察先を見て回った。日中は35度を超す灼熱の暑さのもと、正味4日間、連日朝9時から夕刻5時までの充実した(中には、体力的にも結構ハードな!)視察を行った。
出発10日に、首都プノンペンに到着。12日に国内線で、シェムリアップへ移動。14日夜にシュムリアップを出て翌15日に帰国した。
今回は、HRIジャパンの15名とHRIベトナムの4名が参加することになった。メンバー全員、特に大きな怪我などなく、無事に帰国できたことをとにかく感謝したい。
視察の目的と背景
今回の視察の大きな目的は、NPO法人かものはしプロジェクトのコミュニティファクトリーを視察し、今後の支援策を検討することだ。NPO法人かものはしプロジェクトは、カンボジアの児童買春・人身売買問題をなくそうと、最貧困層の人々に、職業訓練と仕事を提供するプロジェクトを行っている。それが、コミュニティファクトリーだ。
かものはしプロジェクトさまとのお付き合いは、いまから1年半前、HRIが行っているSPS(ソーシャル・パワー・セッション)にゲストでお招きした、村田早耶香さん(かものはしプロジェクト共同代表)との出会いから始まった。
カンボジアは、ベトナムの隣国であり、古く歴史的にも非常に関係が深い国である。そうしたことから、もともとHRIでは、ベトナムと同じく支援したい国としてカンボジアを検討してきた。そこで、村田さんたちと出会ったのだ。村田さんたちとの出会いには、深い意味もタイミングもあった。そこで私たちは、かものはしプロジェクトを支援することで、カンボジアへの支援の第一歩を踏もうと考えたのだ。
カンボジアには、HRIメンバーの誰も行ったことがない。まったく勝手がわからず、また現地旅行代理店へのコネクトもなかった私たちは、かものはしプロジェクトの可部さんに終始同行をお願いした。可部さんは、かものはしプロジェクトで3年にわたって現地に駐在した方。可部さんのおかげで、ツアーのアレンジや現地での移動、調整もスムーズに行うことができた。この場をかりて、可部さんには心から感謝したい。
今回の主な訪問、視察先
今回の主な訪問、視察先を時系列で順にご紹介しよう。
プノンペン
カンボジアの首都。都市人口は130万人。カンボジアで都市部といえば、ここプノンペンだ。
ステメンチャイのゴミ山と、そこで働く子どもたち(プノンペン郊外)/11日朝
プノンペンのホテルから車で約30分のところに、ゴミ山がある。生活ゴミの集積場だ。広さは東京ドームの2.5倍。無造作にゴミが積まれている。その山に、子どもたちがリサイクルに使えそうな、機械部品や電気配線、金属類などを拾い集めている。この近くには大きな倉庫があり、そこでお金と交換できるのだ。その倉庫は、このゴミ山で集まったものをリサイクル品として転売している。ひとつのリサイクル産業が成り立っているのだ。
子どもたちは、裸足か薄い草履をはいて、どんどんゴミ山に入っていく。ゴミの中には、産業廃棄物もある。注射針もむき出しで捨てられている。この注射針からHIV感染する子どもたちも少なくないという。私たちが足を踏み入れたところでも、ガラス瓶など、すぐにでも怪我をしそうなゴミが散在していた。ゴミは野ざらしで捨てられており、雨期になると蓄積したゴミが化学反応を起こし、有毒ガスも立ち込める。また、雨が溜まり、沼のようになった場所もある。表面はゴミで覆われているので、気付かず足を踏み入れ、一瞬で埋まってしまい、窒息死することもあるらしい。そんな場所で、子どもたちが生きるためにゴミを集めているのだ。いわば、ここが彼らの生きる場なのだ。
訪れたゴミ山は、間もなく閉鎖されるようだ。しかし、また新たなゴミ山が別の場所にできてきている。子どもたちもまた、生きる場を求めて、そこに移っているそうだ。私たちも新しいゴミ山の近くまで行ったが、入場を許可されなかった。
ゴミ山で働く子どもたちのための孤児院(KDFO:Khmer Development of Freedom Organization:プノンペン郊外)/11日朝
ゴミ山で働く子どもたちの教育と生活を援助している孤児院を訪れた。ここでは、11名の援助を行う先生と、子どもたち213名(2009年9月11日現在)が集まっている。訪れた際に、子どもたちがそろって、素敵な笑顔と歌で出迎えてくれた。みんなで「幸せなら手を叩こう♪」をうたってくれた。みんな、本当に素敵な笑顔と、透き通る声だった。
ここにいる子どもたちの約30%は孤児、残り70%が片親だそうだ。もちろん、最貧困層の子どもたちだ。5歳から18歳の子どもたちがいるが、ほとんどは小学1年~4年までで、5年生以上になると国立の小学校へ転入させている。ここでは、援助する人たちと子どもたちが共に生活をしている。
中には、HIV感染者や麻薬に手を染めてしまう子どもたちもおり、メンタルケアも含め生活指導も行っている。院長先生はギムサンさん。1994年に、ゴミ山で働く子どもたちの現状を見て、カンボジア内務省の支援を受けてこの施設を設立したそうだ。施設の運営費用は、年間約5万ドル。そこから子どもたちの生活費、教育費、先生の給与、施設の家賃などを賄っている。先生の給与は現状では足りず、先生たちは、他で働きながら子どもたちの面倒を見ている。中には、施設からは無償で施設で働いている先生もいるらしい。デンマークのとある企業が毎年、費用の半分を支援しているらしいが、それだけでは到底足りず、多くの人たちからの支援を今も求め続けている。
トゥールスレイン博物館(プノンペン市内)/11日昼
11日の午後、本来ならばプノンペンの3大スラムのひとつといわれる“ボレイケスラム”を訪れる予定だったのだが、この時期カンボジアは雨期。突然の大雨で道が川のようになることもしばしば。ちょうど、訪問予定だったスラムも道が悪く、断念することになった。そこで急きょ、12日午後の予定だったトゥールスレイン博物館に全員で向かうこととなった。
トゥールスレイン博物館は、1975~79年にカンボジアを支配した、共産政党「クメール・ルージュ」時代の強制収容所だ。もとは学校だったそうだ。トゥールスレインは、クメール・ルージュの指導者、ポル・ポトによって捉えられ、拷問され、処刑されるという痛ましい出来事が起こった場所の一つだ。現在は、その名のとおり博物館として当時のことを伝える場として公開されている。
当時、800万の人口のうちの150~200万人が殺されたと言われている。そのほとんどが、未来のカンボジアをつくる知恵を持った人たち、教師、医師、技術者たちだった。農村に行くと、雨期に川が氾濫している。灌漑対策はしないか?との質問に、灌漑の技術的知識をもった人間は、みなクメール・ルージュ時代にいなくなってしまったと。多くは話せないが、30年近くたったいまも、その遺恨は、少なからず消えずに残っている。
BELTI International School(プノンペン市内)/11日夕
今度は、うって変わってプノンペン市内にある、幼稚園から中学校まであるBELTIという学校を訪問した。ここは、地元の中堅建設会社をオーナーとする私立学校だ。この学校では、Business、Economics、Law、Tourism、English、ITの6つの分野に力を入れた教育を行っている。職員室や教室、食堂のいたるところに、「成功の条件」のような標語が貼られている。まさに、いわばエリートを育成する進学校だ。私たちも教室で授業に立ち会わせてもらった。正直なところ、自由闊達で心豊かに過ごしている空気はあまり感じられなかった。いま、プノンペンの富裕層たちの両親は、こぞってこうした私立学校に子どもたちを通わせているそうだ。そして、こうした進学校が増えてきているという。
貧富の差が特に激しくなってきているカンボジア都市部。そこには、1日1ドル以下で、ゴミ山で生活をする子どもたちがいる。一方で、経済的な成功のために、英語やITなどの英才教育を受ける子どもたちがいる。カンボジアの未来をつくる子どもたちの現状の両極を垣間見た気がする。
Cambodian Mekong University(メコン大学:プノンペン市内)/12日朝
翌12日朝、今度はプノンペン市内にあるメコン大学に訪れた。私立大学だ。通常のクラスに加えて語学教育にも力を入れている大学で、日本語学科がある。その日本語学科の国松先生と、日本に帰化されたカンボジア出身の入江先生に案内いただいた。
カンボジアの大学への進学率は、正確な数字は把握できていない。カンボジア全国の高校就学率が10%程度であることを考えると、大学へ進学できる子どもたちは、やはりごくわずかしかない。しかし、就職先はそれでも厳しいという。出会ったある学生に将来のことを聞くと、日本語を勉強してツアーガイドか、できれば日本の企業で働いてみたいと言っていた。大学で、人気のコースはと尋ねると、会計、英語、ITの3つが人気なのだそうだ。
キリング・フィールド(プノンペン郊外)/12日昼
2班に分かれたメンバーのうち、ひとつの班は、この時点で一足先にシュムリアップへ。残った班のメンバーで、通称「キリング・フィールド」へ訪れた。
トゥールスレイン刑務所に収容された人々は、プノンペン郊外の「キリング・フィールド」に運ばれ殺された。自分たちが死ぬ穴を掘らされ、その直後、目隠しをされ、後ろ手に縛られる。そして看守によって棒で首を殴られて殺され、その体は掘った穴に積み重ねられるのだ。
HRIでは2年前にアウシュビッツも訪れた。同じように大量の殺戮が行われていたけれど、アウシュビッツでは毒ガス室があり、とても無機質で機械的だった。だがカンボジアで行われた殺戮は、違う。非常に原始的だ。大きな木の幹の横には「この木に子供の頭を打ち付けて殺した」と説明書きがされている。クメール・ルージュが去ってから何年も後まで、その木は血で黒かった、とガイドさんは言っていた。
「ここの穴では100体の死体が、こっちの穴では80体が」というような穴がキリング・フィールドには沢山ある。そして道端には殺された人たちの着ていた服が、残っているのだ。時として人の骨が出ることもあるという。
掘り出された8985柱の遺骨が安置された慰霊塔に訪れたメンバー全員で、花をたむけ、線香を点して祈った。全ての魂が安らかでありますように、と。
シュムリアップ
後半は、観光都市シュムリアップ。人口は15万人ほどだ。アンコール遺跡の観光に年間200万人が訪れるそうだ。しかし、周辺は貧しい農村集落地帯が広がっている。今回の目的である、かものはしプロジェクトのコミュニティファクトリーは、このシュムリアップの郊外に位置する。
バイヨン寺院、アンコール・ワット/13日朝~昼
アンコール遺跡は、単なる観光ではなく、カンボジアの成り立ちや文化、奥深く眠る土地の風土を知る上で非常に重要な視察となった。案内いただいたのは、JASA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム:http://www.angkor-jsa.org/)の吉川さん。とってもわかりやすく、説明していただいた。カンボジアがフランス植民地となる前の先史時代(プレ・アンコール)からアンコール期、ポスト・アンコール期に至るまでの壮大な歴史が、走馬灯のように短い時間の中に、メンバーの眼前に現れた。一時、現在のタイからベトナムまでの一大都市(当時、世界最大)を治めていたそうだ。
訪れたバイヨン寺院もアンコール・ワットも、いままさに崩れそうな感じだった。世界各国から修復チームが集まり、場所を分担し、各国の技術を持ち寄って修復している。修復のオリンピックとも呼ばれているそうだ。カンボジアへ初めて訪れる際には、ぜひJASAをお訪ねいただきたい。
ニュー・チャイルド・ケア・センター(シュムリアップ郊外)/13日夕
夕方になり、「NPOるしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ(以下“るしな”)」の松本さんと待ち合わせして、ニュー・チャイルド・ケア・センターという孤児院を訪問した。ここは、日本の複数のNPOが共同で支援しているプロジェクトでもある。この孤児院では20名ほどの子どもたちが生活をしている。子どもたちのほとんどが、感染症を患っている。カンボジアが直面している大きな社会問題の一つとして、社会環境変化によって生じた、貧困層の感染症の拡大と人身売買がある。
会ってみると、子どもたちは、いたって普通の子どもたちだった。しかし、感染症というだけで、社会的偏見を受ける身寄りのない子どもたち。子どもたちはここで。職業訓練を行ったり、近くの学校にも通っている。将来は、医者になりたいと言った子どもたちもいた。
このプロジェクトに協働参画している、“るしな”の松本さんは、「この子たちを、まっとうな大人に育てたい」とおっしゃっていた。普通の子どもたちが、まっとうな大人になるための場。これまでの数日間の視察を踏まえて、ハードにおいても、ソフトにおいても、そうした場がこの国にはまだまだ足りていない、という現状を私たちは思い知らされた。
るしなさんとは、当社のSPS(ソーシャル・パワー・セッション)でもお話頂く予定なので、御興味のある方は是非こちらから!
コミュニティファクトリー(シュムリアップ郊外)/14日朝~昼
いよいよ今回のツアーの最後、かものはしプロジェクトのコミュニティファクトリーを訪問した。訪問先では、かものはしプロジェクトの共同代表である、青木さんと本木さんに出迎えていただいた。
コミュニティファクトリーでは、おもに、児童買春や人身売買の被害に遭う危険性の高い女性たちが働いている。みな、とても楽しそうに仕事をしていた。ここではおもに、い草使ったハンディクラフトをつくっている。それを、現地のホテルやお土産物屋で販売し、収益を得ているのだ。作業工程は分担されていた。いぐさを染色する人、染色されたい草をマット上に編む人、その織ったい草マットを加工し、生地をミシンで縫製をする人・・・といった具合。職業訓練も行っているこのファクトリー。皆さん、手つきはなかなかのものだった。
ここで働く女性の方の暮らしを見させていただいた。2班に分かれて訪問した。車で約30分以上の場所にある。そこから自転車で1時間ほどかけてファクトリーに通っているそうだ。
仕事が無ければ、彼女たちは生活できない。収入が無ければ、出稼ぎに行かざるを得ない。出稼ぎに行った先で、人身売買の被害に遭ってしまう危険性がある。訪れた女性の家は、周りに親戚たちが住んでおり、互いに支え合って暮らしている。決して孤独ではなさそうだが、そうした人身売買の危険と背中合わせで日々暮らしているのだ。
コミュニティファクトリーではお昼の休憩時間に識字教室も行っている。この識字教室はファクトリーで働く女性達に大人気だそうだ。彼女たちの多くは、十分な教育を受けておらず、満足に読み書きができない。読み書きができるようになることは大きな喜びであり、モチベーションの向上につながるそうだ。
私たちはあらためて、コミュニティファクトリーの重要性と意義を確認させていただいた。一方で、かものはしプロジェクトの皆さんの試行錯誤も聞かせていただき、まだまだこれから解決しなければならない問題もお聞きすることができた。現地で、現場を見させていただきながら、こうした問題をお聞きできたことが何より良かった。
今回の視察から、単なるハードではなく、コミュニティファクトリーに関わるソフト面も含めて、全体を捉えた中での支援策の検討を今後進めていくことになった。
今回の視察ツアーで見たこと
今回の視察ツアーで見たこと。それは、まずは自分のために生きることができるかの瀬戸際にある人たちが多くいるということ。そして、それは何かハードがあればそれでいいかというとそれだけでは解決しないということ。ソフト、特にコミュニティ(共同体)が非常に大きな意味を持つこと。コミュニティは、家族、地域、学校。ポル・ポトは、ほんの一時期に、これらすべてを崩壊させた。今回視察した貧困層を支えるNGO、NPOは、生きていくための大切なコミュニティだ。親であり、家族であり、先生であり、学校だ。
これからも私たちは、コミュニティを通して、カンボジアで暮らす最貧困層の人たちが自分のため人のために生きることができるようになるための支援を続けていこうと考えている。
参加メンバーの感想
今回ツアー参加したメンバーに、「もっとも印象に残ったこと」をテーマに100字感想をいただきました!
- 参加メンバーの感想はこちら!
☆当社のSPS(ソーシャル・パワー・セッション)では
次回“るしな”の松本さんをお呼びします。
御興味のある方は是非こちらから!
孤児院の子供たちの出迎え

使えるゴミを探して生活している子供たち
ステメンチャイのゴミ山
ゴミ山で働く子供たちのための
孤児院内の教室
支援したノートと少女
支援した文房具と少年たち
昔は学校だった、トゥールスレイン博物館
囚人を繋いだ足かせと鉄のベッド
ポル・ポト軍の少年兵士たち
BELTI学校授業風景
メコン大学で日本語を学ぶ学生たちと
殺された人が埋められていた穴
今は水が溜まっている
歩く道にも殺された人の衣服が残っている
慰霊塔内には犠牲者の遺骨が
納められている
JASA
(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)
吉川様
バイヨン遺跡の尊顔
ニュー・チャイルド・ケア・センターの
子供たち
孤児院。農村部は雨を避けるために
高床式の作りが一般的
NPO法人
るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ
松本様
い草の商品を作り上げる。
ミシンは足踏み
い草を編む少女たち
ワーカーのお宅訪問
スコールの雨が溜まってしまっている
かものはしのみなさんと
