リーダー列伝

ウォルト・ディズニー(Walt Disney)

ウォルト・ディズニー(Walt Disney)

1901年12月、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれた。一族はアイルランドからの移民であり、姓の「ディズニー」の由来はフランスのカルヴァドス県のイズニーが由来だという。彼はアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナーでもあった。世界的に有名なアニメーションキャラクター「ミッキー・マウス」の生みの親であり、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは350億ドルの収入を持つ国際的な大企業に発展した。

略歴

・1901年イリノイ州シカゴに生まれる
・1920年ウォルトとアイワークスはデザイン会社「ウォルト・アイワークス・カンパニー」を
 創立して共同経営者となった
・1920年アニメーターとして独立して個人事務所を設立した
・1925年リリアンバウンズと結婚
・1927年ユニバーサルピクチャーズと提携し、オズワルドシリーズでヒットした
・1928年契約が難航し、キャラクター、従業員全てを失うが、ミッキーが産まれる
・1930年代にはミッキーマウスは国民的キャラになっていく
・1955年CAアナハイムに広大な土地を購入、ディズニーランド建設開始
・1966年肺がんのため死去

リーダーとしての大きな特徴

1.先見性

「ディズニーランド」
「アニメのキャラがウロウロするテーマパークなど誰が来る」 
こう周りから言われたウォルト。しかし彼の頭の中には、その成功する光景が見えていた。
現に世界中で大ヒットとなるテーマパークを産み出した。

2.困難突破力

「オズワルドショック」
ウォルトはユニバーサルで作ったオズワルドシリーズのヒットにより、名声を得たがその後契約が難航し破綻したため、ユニバーサル側が、悪質な引き抜きを開始した。
キャラクターとアニメーターをなくしどん底にいたウォルトだが、一からまたアニメを製作し、作り上げたのがあのミッキーマウスだった。

3.思いを持った行動力

「金は使え!」
ウォルトディズニーは自らが思う価値観、レベルにあうまでお金や制限を気にせず費やす男だった。白雪姫の作成に普通は3万ドルの製作費を使っていたのに白雪姫を作るに150万ドルつぎ込んだ。そして彼はそれをまかなう資金を必死になりかき集めた。

自らのアニメへの想いを持った究極の童心とビジョンを持った経営者、
「ビジョナリー経営者」

リーダーシップ・エピソード

1.ディズニー兄弟のバランス

ウォルトには兄のロイ・ディズニーがいた。彼は物腰が柔らかくそして人をしかりつけることもなければ大胆な行動もすることがない慎重派だった。一方ウォルトは常に自分の持つ独創性あふれる作品に完璧を求め、周りに無理を言っていた。この二人の性格がディズニーの成功に欠かせないものだった。

2.オールイン(全賭け)の思考

ウォルトは白雪姫の世界的ヒット以降、莫大なお金を手にした。しかし彼の生活はほとんどかわらなかった。莫大に稼いだ金を全て次の事業に費やしたのだ。彼は言う「金についての考えは一つ。それを使って何かするしかない。そうしなければどんなに財産があっても全く意味がないと思う。」

3.傲慢さとカリスマ性

ウォルトは自らの考えを隠すことはしなかった。そしてそれは多くの誤解を生むきっかけにもなった。ウォルトの下で働く従業員はウォルトから褒められることはほとんどなかった。また、ウォルトは紙ナプキンをいつも持ち歩き、そこにアイディアを書いては会議に持っていった。しかし短気な彼は、それをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱にすてることも多かった。そして部下がそれをゴミ箱から拾う姿を見ることが実は好きだったという。 しかしこんなウォルトのもとで働きたい者は多かった。それは彼の言動は純粋な想いによるものだと誰もが感じていたからだ。

ウォルト・ディズニーの名言

新しい世界を開拓し続けなければ、ボクは死んでしまう。
成功させる方法は1つしかないと分かっている 当たって砕けろ!とにかくやれという事だ。

参考文献 参考URL

  1. ディズニー伝説(ボブトーマス著/日経BP社)
  2. 創造の狂気 ウォルトディズニー(中谷和男著/ダイヤモンド社)

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