リーダー列伝

稲盛和夫

稲盛和夫

1932年1月1日 鹿児島県生まれ
戦後、8人で始めた町工場を独自のファインセラミック技術で
世界的な企業に育て上げた立志伝中の人。
京都セラミック株式会社(現京セラ(株))を設立。
今日では通信機器、情報機器、カメラ、宝飾品等の製品を持つ世 界有数の優良企業に育て上げた。
1984年には電気通信事業の自由化に即応しDDIを設立。

略歴

・1955年 鹿児島大学を卒業後、松風工業に入社
・1958年 松風工業を退社し、翌年 に京都セラミック株式会社を創業
・1976年 米国ニューヨーク株式取引所に上場
・1984年 私財を投じて稲盛財団を設立。
 同年、第二電電企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。
・1986年 京セラの会長職に就任
・1990年 若手経営者のための経営塾「盛和塾」を開塾
・1997年 京セラ・第二電電の会長職を退き、取締役名誉会長に就任
・2000年 KDDI発足。翌年 KDDI顧問に就任。

リーダーとしての大きな特徴

1.モチベーション維持力と破壊的ビジネスモデル構築力

「アメーバ経営」
創業時のファミリーのような気持ちを忘れずに生きがいを持って働ける環境、組織づくりを目指した。全体を工程別、製品群別にいくつかの小さな組織に分け、それぞれが中小企業のように経営を行う組織をつくり、それを自己増殖するアメーバと名付けた。

2.常に原理原則を重んじ、忠実に実践する「本質思考力」

「フィロソフィ」
「人間として何が正しいかで判断する」「公正、公平、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を大切にする」
これらは京セラフィロソフィと呼ばれる。稲盛は自身の経営を通じて哲学を育み、忠実に行動し、社員にも伝播させていった。

3.ベンチャー魂を忘れず、常にチャレンジする「新価値創造力」

「第二電電」
「京セラには創業以来積み立ててきた手持資金が1,500億円ある。
このうち、1,000億円を使わせて欲しい」 稲盛は通信自由化を受け電気通信事業へと進出した。日本の通信料金を引き下げる!という強い信念のもと、チャレンジしていった。

人の心のつながりを重視し、原理原則に従い邁進した、
「人道的経営者」戦後、唯一の民族系石油企業を創り上げた

リーダーシップ・エピソード

1.多角化経営

京セラは創業以来、ファインセラミックスの技術を核に、数々の新製品と市場を開拓していった。それは、企業の成長と安定を両立させるためには、事業の多角化が必要との稲盛の考えに基づく。そうした多角化の魁は意外にも、1970年に着手した「再結晶宝石」。東京・銀座と京都・四条に店舗を構え、「クレサン ベール」のブランドで展開した。1978年には米ビバリーヒルズにも出店している。

2.京都賞

稲盛は自身の「世のため人のために尽くす」という人生観から、社会へ恩返しすべきと思い至り、私財を投じて財団法人、稲盛財団を発足させ、「京都賞」創設した。京都賞の創設は、人のために尽くしたいという思いと、人知れず努力している研究者を顕彰することで今後の研究の励みにしてもらいたい、という考えから生まれた。京都賞はノーベル賞に近い5千万の賞金を設定している。

3.盛和塾

稲盛は若い経営者を支援する「盛和塾」と呼ばれる勉強会を運営している。
その趣意書では、「経営の要諦は、トップの持つ心にある。経営の真髄を感得して、経営者の心が変わるならば、経営は必ず順調にいく。自分自身の人徳を高め、企業の安定と隆盛を志す、全国の経営者たちよ、集まれ。」と記されている。

稲盛和夫の名言

今日の成果は、過去の努力の 結果であり、未来はこれからの 努力で決まる 。

動機善なりや、私心なかりしか
(通信自由化を受けた電気通信事業への進出を毎晩、こうして自問自答したという)

参考文献 参考URL

  1. 「敬天愛人―私の経営を支えたもの 」 (著 稲盛和夫/PHP研究所)
  2. 「稲盛和夫のガキの自叙伝―私の履歴書」 (著 稲盛和夫/日本経済新聞社)

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